ナルバ川の国境を越えて
出発の朝。今日はロシアのサンクトペテルブルグからエストニアのタリンに行く。いつものように起きて、ヴィキさんと朝食を食べた。バスの発車時間13時15分までは、まだ少し余裕があった。「いつここを出るの?」「2時間前の11時15分頃かな」「それだともし間に合わなかったとき大変だから30分後の10時に出なさい!」「え〜早っ!?」
ってなこと言ってたくせにヴィキさんの長話のせいで結局10時を回った。間に合うのか間に合わないのか、なんなのだろうか。
バックパックを取りに部屋に戻ると昨夜に知り合ったイタリア人のマレも起きていて、イタリア人らしく陽気な感じで「なぁなぁこの音聴いてくれ〜」とスマホの着メロを聴かせてくるから何の曲かと思ったら『君が代』だった。しかも歌い始めた。「クゥイ〜ムィ〜ガ〜♪」と歌っているマレは放っておいて、バックパックを背負いイタリア語で「Buon viaggio(良い旅を)」と伝えると「イタリア語を知ってたの!?」と質問された。「以前、友達に聞いたことがあったからそれだけ知ってただけだよ」と言って「またどこかでな」と握手をした。
キッチンを覗くと、食器を下げていたマークがいたので「色々ありがとな、そんじゃ行くわ」と言って別れの挨拶をし、ヴィキさんにもお礼を言って宿を出た。
少し雨が降っているネフスキー大通り。次にここに来るのは一体いつになるんだろうか、そんなことを考えながら歩いた。昨日と同じ様にマヤコフスカヤからメトロに乗りバスターミナルに向かった。
プーシキンスカヤで乗り換えてアブヴォードヌイ・カナールに着き、そこから歩いてバスターミナルに着いたのが12時45分。やれやれ意外と遅くなってしまったって、ギリギリじゃねぇか。
「2番か」建物の中に入りと電光掲示板に自分のバスの停車番号が表示されたのを確認して、セキリュティゲートを抜けて中に入った。
発車15分前。乗るバスを見つけると運転手がチケットと身分証明書のチェックをしていて、少し時間がかかりそうだったので、軽食でも買いがてら余った200ルーブル紙幣を使い切ってしまおうと売店に行ってみたが人がおらず、この紙幣はエストニアまでの持ち出しになってしまった。
マークに教えてもらったLux Expressのバスはとても快適で、ペットボトルの水はもらえるしコーヒーお茶は飲み放題、トイレもついている。無料Wi-Fiはもちろん、各席ごとにコンセントまであった。
13時15分。予定通りバスはエストニアのタリンに向けてサンクトペテルブルグのバスターミナルを出発した。少しお腹が空いたので、昨日のうちに買っておいたパンを食べた。ロシアに来てから何となく飲むようになったクワスも、これで飲み納めかと思うと少し寂しい。
バスは市街地を走って行った。途中、ロシアの国鉄が見えて、よくシベリア鉄道で日本からここまで来たな〜と思ったり、丸屋根の教会に懐かしさを感じたり。
やがて郊外の高速道路に入ると、バスはスピードを上げ、どんどんロシアを離れていった。
サンクトペテルブルグを出発してから2時間ほど経って、ロシアとエストニアの国境があるナルバに差し掛かり、出国審査のために一時的にバスを降りた。
もしここで「あなたはレギストレーツィア(滞在登録)を持ってないから出国できません!」と言われてしまったら困っちまうな。まぁ、そん時はそん時だけど。少しドキドキしながら列に並び、出国審査の係員の前へ進み、パスポートと一緒に入国した際に渡された出国カードを手渡した。パスポートの顔写真と僕の顔を交互に見る係員。「あっ、すみません。メガネ外したほうが良かったですか?」とメガネを取り、努めて明るく誠実に笑顔で対応。
しばらくして出国許可のスタンプを押してもらえた。係員に「スパシーバ ボリショーイ(どうもありがとう)」と言ってパスポートを受け取り、レギストレーツィアって一体どうなってんだろうかと疑問に思った。でも、出ちまえばこっちのものだと一安心。
建物の外に出て乗ってきたバスを待っていると、国境の写真を撮っていた男が警備員に注意されてカメラのチェックを受けていた。困ったおっさんだ、写真禁止のアナウンスも看板も出てたのに。
やがてバスが来て5分ほど乗ってナルバ川を渡ると、今度はエストニアの入国審査。係員がバスに乗り込んできてパスポートが回収された。待つこと20分、突然ロシア語のアナウンスで番号が呼ばれた。
「東洋人は確か僕一人だったし、まさかな」と思って後ろの席にいた親子に自分のパスポート情報を書いて見せてみると「君、今呼ばれてるよ」と言うので「やっぱりか」とバスを降りて出てみるとバックの中身チェック。係員にバックを開けさせられ「ノードラッグ?ノーアルコール?」と質問された。「ない、ない。あと、ノーポルノだ」と答えてさっさと終了させた。まったくアジア人は疑われてんのかね、人種・信条・性別・職業・年齢に関係なく悪い奴やクズはいるぜと思いながら席に戻り、しばらくして入国スタンプを押されたパスポートが戻ってきた。
入国手続きも無事に済んで、またバスは走り出しそしてすぐに停まった。窓からバス停の表記が見えたので「なんだ、ナルバのバス停か」と思った次の瞬間。正直、こんなことに動揺するもんなのか、そして感動してしまった「英語だ。意味が分かる、読める!」。いや、まぁ当たり前のことなんだけど、とにかくそれに驚いた。これは僕のロシアの旅が終わったことを強く実感させる出来事だった。
ナルバを出てからバスはエストニアの牧歌的な景色の中を走っていったが、やがて雲行きがあやしくなり、ついには雨が降りだした。
「ロシアも雨、エストニアも雨」と窓ガラスに頭を当てながら「傘持ってね〜し」とぼやいていたら、雨はそのうちに止んだ。バスが雲を通り過ぎたのか、風が雲を流したのか、どちらにしても傘を持ってないので助かった。
そう言えば少し前までは、同じ様にバスの窓ガラスに頭を当てて、人生についてもっと深刻に悩んでいたのに、今じゃ天気如きに一喜一憂している自分がいるんだから随分と小さくなったもんだ。前の座席にいた女性が「あれ、あれ」と窓の外を指差すので見てみると、雨上がりの大地に虹が2本かかっていた。
「教えてくれてありがとう」そう言うとその女性は「どういたしまして」と笑って言った。この先どうなるかはまだわからない。けどまぁ、なんとかするさ。
【ロシア横断シベリア鉄道編】
おわり