バルト三国第二の国ラトビア
ラトビアのリガまではエストニアのタリンからバスで約4時間半かかった。朝早かったせいかバスの中で一眠りしている間に着いてしまった。リガに着いたのはまだ昼過ぎで、バスを降りると日差しが強く眩しかった。飛行機ならもっと早いんだろうけど、時間に追われていないから特に急かされる理由もない。到着した人たちと一緒に出口を目指し、僕を待ってる友達を探した。
バスターミナルの建物の前で、見知った顔の男が立っていたのに気づいて手を振ると、あっちも僕を見て手を振り返してきた。
「よぉ、久しぶり!なんかすぐアルトゥーだと分かったぜ!」「ニノ、まさか本当に来るとは!?インド以来だから約1年ぶりか?」「あぁ、しかも日本からここまで陸路で来ちゃったよ」「ライヴィスは今はイタリアに旅行中だ」「そっか、会いたかったがしょうがないな」「今日はどうする?」「とりあえずリガを案内してくれ」「OK」「それじゃ、数日お世話になります!」「よし、行くか」「いや、ちょっと待って」「?」「コーヒーだけど、とりあえず再会の乾杯ということで」
僕は売店で二杯分のコーヒーを買って一緒に飲んでから歩き始めた。「荷物預けたりするか?」「いや、大丈夫。ウーティでも言っただろ?荷物持ってても10km程度余裕余裕!」こうして僕らはあの時と同じように歩いて行ったのだ。
リガの鉄道駅前から旧市街に入り、自由記念碑を見に行った。「高いな〜」と見ていて、ふと日本では自由を讃えるようなモニュメントを見かけないなと思った。
しばらく歩いていて、庭園では「これは日本のもの?」と質問されたので「これは多分中国じゃないかな字が違う」「違いがわからない」「まぁ、そうだろうな」とか、そんな話をしながら歩いた。
リガの街中には遊園地もあったが、いい歳こいた男二人で遊びに行くところでもないだろう。
何も考えずにアルトゥーに付いてきてしまったので、リーガ城で現在地の確認をするまで自分がどこを歩いているのかもよくわかっていなかった。
連れてきてもらった、外観が特徴的なブラックヘッドの会館は、以前は独身貿易商人の友愛会の社交場だったそうだ。今は大統領官邸となっていて、中には入れなくなっているらしい。
その建物の外壁に飾られている大時計を作った職人は二度と同じものが作れないよう目をくりぬかれてしまったという、発想がまるでインドのタージマハルと同じだ。
ラトヴィア占領博物館の前では何かのイベントがあるのか、カタツムリの風船がたくさん置いてあった。
その近くにあった薬局は、これまたエストニアやロシアとは若干違ったが、これが薬局であることはすぐにわかった。
「昼飯食べた?」と聞かれたので「いや、まだ。できればラトビア料理が食べたいかな」と言ったら「じゃあこっちかな」とバスターミナルの方へ戻って行った。
旧市街をぐるっと回り、ダウガヴァ川沿いを歩いて中央市場の横を通り過ぎて、科学アカデミーの方へと歩いて行った。こちらの地区では何軒か木造の古い家屋も見かけ、ロシアのイルクーツクで見たような建物を思い出した。
トラムレーンをずっと歩いて行くと、市街を出てしまったのか郊外型の建物がぽつぽつと見られるようになってきた。
「ここだ」と立ち止まると、小さなテーマパークのような場所の中にあるレストランに入っていった。アルトゥーが言うには好きなものを頼んで、レジでまとめて会計するらしい。肉・魚・野菜・デザート・ドリンクと種類がたくさんあってよくわからなかったんで、デザート以外アルトゥーと同じものを頼むことにした。
昼飯を一緒に食べながらアルトゥーにラトビア料理について尋ねると、アルトゥー曰く「ポテト・ポテト・ポテト・野菜、たまに肉・魚、終了」だそうだ。そんなこともないと思うのだが、ヨーロッパの人ってポテトばっかり食べてる実感はあったんだなと思った。このレストランのウェイトレスはラトビアの民族衣装のようなものを着ていて、なんかすごく可愛い子がいて、また美人の多そうな国に来てしまったようだ。
昼飯を食べ終えると、リガに住んでるアルトゥーの友達が仕事が終わったら合流したいらしく、一緒に酒でも飲もうということになった。一体どんな人なんだろうか。
つづく