『青年は荒野をめざす』僕の世界一周の旅に影響を与えた本【趣味】
こんにちは。こちらは僕の世界一周の旅に影響を与えた本の紹介記事です。『青年は荒野をめざす』は小説家・五木 寛之(いつき ひろゆき)さんの1967年の作品です。50年前なので、ちょっと古いですね。バックパッカーのバイブルと言うと沢木 耕太郎さんの『深夜特急』が有名で、僕も旅する前に一巻を買って読んでみたのですが、その日が暑かったせいか「なんか長いし、もう一巻だけでいいや」と残念ながら香港・マカオで終わってしまいました。あと旅中はたまに「猿岩石のヒッチハイク番組に憧れて」という方もちらほら見かけましたね。
これは一九六〇年代、旧ソ連とアメリカの間で激しい対立が続いていた時代、そして人工衛星が初めて宇宙を飛んだ時代の物語である。
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・見開きページ)
『青年は荒野をめざす』の紹介
ジャズ・ミュージシャンを目指す二十歳のジュンは、ナホトカに向かう船に乗った。モスクワ、ヘルシンキ、パリ、マドリッド…。時代の重さに苛立ちながら、音楽とセックスに浸る若者たち。彼らは自由と夢を荒野に求めて走り続ける。60年代の若者の冒険を描き、圧倒的な共感を呼んだ、五木寛之の代表作。
(Amazon・内容「BOOK」データベースより)
感想
『青年は荒野をめざす』は、ジャズ・ミュージシャンを目指す二十歳のジュンが「本物のジャズ」を求め、自分に欠けていると言われる何かを探すために、受験した大学を全部失敗させて「人生というのは何かということを独りで考えてみたい」「いろんな国の、いろんな人々の生活を見てみたい」「世界中の民族の生の感情や、音楽を、じかに自分の目で確かめてみたい」と、一年間のアルバイトで貯めた十五万円の貯金で、横浜からロシアのナホトカへの船に乗り、外国放浪の旅に出る物語なんですが、この本の感想を書くのは正直難しかったです。
「あんたは苦労がたりんのだよ」
「苦労?」
「あんたの顔を見てると、大体わかるな。あんたの両親は健在だ。あんたは自分の勉強部屋をもっている。あんたはこれまで飢えたことはない。寒さで眠れなかったことも、盗みをしたことも、他人を殺そうと思ったことも、殴られたこともない。学校の成績もいいほうだろうな。つまり、君は幸福すぎるんだよ」
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・17-18ページ)
と言うのも、僕が自分の旅の理由を説明するのがなんとなく難しいのと似ているのかもしれませんが、主人公のジュンの旅の理由もなんだかよくわからないものだからだと思います。敢えて言うなら「うまく説明できない感情」からでしょう。
ぼくが、何を求めて日本を離れたのか、きっとよく理解できなかったかもしれません。
ぼく自身にさえも、本当ははっきりしなかった位です。ただ、何か自分の欲しいものがあった。それが、どこかにあるという気がした。
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・396ページ)
「どこまで行くの」
「行けるとこまで行くんだ」
「ヒッチで?」
「まあね。ソ連圏内はだめらしいが」
「何しに行くの?」
「さあ」
ジュンは首をかしげて、また船尾の手すりに体をもたせかけた。目の下で、スクリューにかき回された水面が、もりあがって見えた。
<おれは何をしに外国へ行くのだろう>
と、彼は考えた。それは簡単な答えのようでもあり、また複雑な質問のようにも思われた。
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・12ページ)
「きみは本当の音楽、本当の人生とは何かという疑問を抱いて日本を飛び出した。そしてこの半年間の間に、何かはっきりした答は見つかったかね?」
「さあ」
ジュンは首をかしげて、窓の外を眺めた。
「少しはあったような気もします。でもー」
「でも?」
「自分自身のことを考えるより、周囲を見ていろいろ感じた事の方が多かったですね」
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・381ページ)
ジュンの旅の最初と最後の方の言葉なのですが、言っていること自体はほとんど変わっていません。だからと言って変化がなかったかと言うと、そんなに単純ではないんですよね。得たものも、感じたものもあって、それが貴重だったという気もする。だけど、なんとなくうまく言葉にして説明できない。でも、後悔はしていない。少なくとも僕はこの本を読んでそう感じました。
「男たちは常に終わりなき出発を夢みる。安全な暖かい家庭、バラの匂う美しい庭、友情や、愛や、優しい夢や、そんなものの一切に、或る日突然、背を向けて荒野をめざす。だから彼らは青年なのだ。それが青年の特権なんだ。
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・393ページ)
当たり前のことですが、普通の大人は、動機が曖昧で、目的が具体的でなく、成果が不明なものに手を出しません。守るべき家庭や、仕事の責任、世間体があります。仮に何らかの夢があったとしても、しない自由があります、その選択はそれで尊重されるべきものです。その人にとって必要ならする、必要なければしない、それでいいと僕は思います。余計なお世話ですが、夢というものが誰かに強要されることであって欲しくないと思っているのかもしれません。
ですがごく稀に、後先考えず感情に突き動かされるままに行ってしまう人たちがいます。それが、この本で描かれている青年というものです。これは年齢で言う若さとは関係ありませんが、僕の知る現代の若者の多くには、もう理解しがたい感覚のように思います。でも、だからこそ知って欲しい感覚のようにも考えています。と言うのも、実際やってみないとわからないことがあるし、世の中というのは不思議なもので、あり得ないと思われていることばかりが、笑っちゃうくらいによくあり得てしまうからです。
「苦手か苦手でないか、試してみたことはあるのかね?」
「ためさなくてもわかるさ」
「それは嘘だ」
彼の声が不意に厳しい響きをおびた。
「世の中で自分でためしてみないで判ることなんか無いぜ。音楽は一つの体験だ。予想じゃない。頭の中で新しいコードを考えてるだけで、良い演奏家と言えるかね?君は白人女をためしてみるべきだよ。その上で無意味だと思えば、それが真実だ。仮定ばかりの上に自分の思想や、音楽を組み立てようたって無駄だと思うな」
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・136ページ)
「ジュン。君に聞くが、いったい善悪の判断なんてあるものかい?」
「なんだって?」
「善い事とか、悪い事とか、そんなことはどうだっていい事だ。おれたち人間は、自分の生命をおびやかす行為を悪、その反対を善と名づけただけさ。この街で君が誰とどんな事をしようと、別に命が危うくなるわけでもないし、社会的な制裁をうけるわけでもないのだろう。君はクリスチーヌと寝る事を怖がっているんじゃないのか?」
(五木 寛之・『青年は荒野をめざす』文春文庫・2008年・213-214ページ)
この会話、大層なことを言ってるような感じですが、知り合った外国人の女性と寝るか寝ないかといった内容です。下らないとは言いませんが「男って馬鹿だな」とは言いたくなりますよね。でも、一夜のロマンスや素敵な出会いを期待してしまう気持ち、わかりますね。男って基本、馬鹿ですからね。
さて、この記事を書くにあたって、改めてこの本を読んでみて懐かしくなりました。ちょうど世界一周の旅の一箇国目をどこにするか考えてた頃、この本を読んで「ナホトカ航路」からのシベリア鉄道のルートを知りました。神奈川に住んでいる僕は「これでヨーロッパまで飛行機を使わずに行けるのか」と思ったのもつかの間、今はナホトカ航路って廃止されててないんですよね。でも、船という選択肢が頭に残りました。そうして調べたところ、境港からウラジオストクに行くフェリーの存在を知りまして「あっ、ヨーロッパまで行けた」とロシアのビザを調べて、勢いでチケットを申し込んでしまいました。
大阪や神戸から中国の上海、九州から韓国へ行くフェリーもあって「アジアハイウェイ1号線」を行くというのもロマンがあったのですが、そのルートは北朝鮮やアフガニスタンも入りますし、以前に中国とインドに行ったことがあって、どうせなら行ったことがない国がいいなと思って、韓国経由のロシア行きにしました。なので僕、実は最低限やりたかったことが2〜3個あったくらいで、さらにそのうちの一つがシベリア鉄道で「モスクワまで着いたらあとはなんとかなるだろう」って旅の計画がほとんどないままに出発してしまいました。オススメはしませんが、成り行きの旅も結構面白かったですよ。
では最後に、今回紹介した小説はフィクションですし、犯罪や違法行為を奨励するものではありません。僕が言ったことを曲解して何かやらかしても「僕に責任が」なんてみっともなく泣きつかないで下さいね。あなたの人生に責任を負うのはあなた以外にはいません。それでは長い人生を大いに楽しんでくださいね。
著者の紹介
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