エストニアの祝祭の日に
しばらく店内で雨が止むのを待っていると、徐々に晴れ間が出てきたので再び外に出ることにした。電光掲示板の表示も曇りのち晴れの予報に戻っている。それにしても今日は一体何の日なんだろうか。
再度、電光掲示板を見てみると「1991」と表示されていて「1991年?」「エストニアの国旗?」そうか「ソ連崩壊」「独立戦勝記念碑付近での催し物」と言うことは、もし彼らの殆どが観光客じゃなくエストニア人だったら、今日はエストニアの独立記念日か何かだ。続々と丘の上に向かっていく人たちに付いて僕も丘の上にまた戻ってみることにした。
丘の上に登ってみると、そこはすごい人だかりになっていた。「おいおい、これだけの人数がこの雨の中、一体どこに行ってたんだよ」イベントが始まる直前、ステージ上にいた女性歌手が何か喋っていたが、エストニア語だったのかあまり聞いた事のないような感じで意味は全然わからなかった。
この時は歌っている曲が何だかわからなかったけど、サビの部分をずっと覚えていたせいか、もっとずっと後に泊まった宿のテレビで、たまたま『OneRepublicのCounting Stars』のミュージックビデオが流れているのを見かけ「あれ?この曲、確かあの時エストニアで聴いた曲だ」と思い出すことになった。
女性歌手の演奏が終わると、今度は男性歌手に交代し力強い感じの歌が始まった。観客は歌に合わせてエストニアの旗を振っていた。もしかしたら、何か特別な歌だったのかもしれない。
そうか、僕自身全然知らなかったけど、今日はこの国の人たちにとっては特別な日だったのか。
男性歌手の演奏を聴き終わったあたりで丘を降り、次第に後ろから聞こえる演奏の音は遠くなり、僕はこの場所を後にした。その後、死者の様子が描かれた『死の舞踏』という絵画に興味があったので、それが飾られている聖ニコラス教会に来てみたのだが、この日は休みだったのか中に入る事はできなかった。
おそらく今日はエストニアの祝日だからか、聖ニコラス教会の近くにあった博物館も休館していた。すぐそばに観光案内所があったので、ちょっと入ってみる事にした。
中はすごくすっきりとしていて、なんかおしゃれな感じだった。置いてあったお土産の人形は見れば見るほど「か、かわいいじゃねぇか」と思ったが別に要らないので買わなかった。
今日が何の日なのか少し気になり、受付の人に聞こうとしてみたけど忙しそうだったので、観光案内所のパソコンで自分で調べてみる事にした。まぁ、質問して長話になってまで知りたいという訳でもなかったのでパソコンがあって良かった。
パソコンのOSはWindowsではなくUbuntuだった。初めて使ったけど、観光案内所にあるネット検索しかしない程度のパソコンだったらこれでも十分な気がした。早速エストニアの8月20日について調べてみると、この日は『独立回復記念日』で祝日にあたり、『独立記念日』は別に2月24日に制定されていた。
これ以上深く知りたいとも特に思わなかったので、今日が何の日かわかってすっきりしたところで、旧市街中心のラエコヤ広場へと歩いて行った。途中に綺麗な花を便器に刺して一輪車で売り歩く花売りもいた。この花は1ユーロで買えて、花が要らない人は代わりにチョコレートをもらっていた。
ラエコヤ広場から出発して旧市街を回る観光列車のトーマス号も、ちょうど戻ってきたところだった。
旧市街の中心に位置するラエコヤ広場は、さすがに観光客が多く訪れるメインスポットだけあって、多くの人で賑わっていた。
広場の周りにいたウェイトレスの女性たちは、ずいぶんとこの旧市街の雰囲気に似合う格好をしていて、魔法の一つや二つ使えるんじゃないかと思ったり、もうこのあたりのレストランで『マンガ肉』を食べれるんじゃないかと思った。
まだ雲があって、少し寒くなったので一旦宿に戻ることにした。共有フロアで一息ついていると、朝からソファでくつろいでる人たちがそのままいた。もしかして、朝からずっとここでパソコンしてテレビ見てたのだろうか。
「何してるの?」って聞いたとしても、どうせ「リラックス」とか返ってきそうな感じがした。誰がどう過ごそうと知ったことではないので、僕の方はお茶を飲んでまた散策続行。
つづく