血の上の救世主教会
カザン聖堂を出た後はドームクニーギの角を曲がり、グリボエードフ運河河岸通り沿いの壁にある昔のサンクトペテルブルグの絵を眺めながら、血の上の救世主教会の入口を目指して歩いていた。
血の上の救世主教会。公式名称はハリストス(キリスト)復活大聖堂。1881年3月1日にロシア皇帝アレクサンドル2世が革命家による爆弾テロによって暗殺され、息子のアレクサンドル3世が父親の死を弔うためにこの場所に教会を建立したことから、血の上の救世主教会(スパース・ナ・クラヴィー教会)と呼ばれるようになり、1907年に完成されたロシアの歴史的建築の中では比較的新しい建物。
外壁には宗教画のほか、イルクーツクで見かけた黒いへんてこりんな猫のようなロシア144の町・地域の紋章が描かれている。
玉ねぎのような特徴的な丸屋根をしているので、どこかモスクワの聖ワシリイ大聖堂に似ているように思ったけど、歴史的意義も建築技術も全く異なる建物らしい。もともと沼地で地盤の弱かったサンクトペテルブルグにおいて、当時の最新技術コンクリートを用いて建てられたこの教会は、全体の構成のより自由な点や明るさ、優美さがモスクワに代表されるロシア的な聖ワシリイ大聖堂とは大きく異なるとのこと。
入場チケットを買ってさっそく中に入ってみる。ロシアは本当にワクワクさせる建物が多い。5月から10月までは夜間の入場もできるみたいなので、夜まで街の美しさを楽しめるというのはなおさら素敵だと思った。
入口通路の天井は花柄で装飾がなされていて、採光の加減により鮮やかにも怪しくも見え目を奪われた。
教会内部の壁面は聖書の悲劇的な要素を題材とした緻密なモザイク画によって装飾されていて、あまりの細かさにもう絵画かと思った。
写真を撮ってみると、一粒一粒のタイルの光の反射で、まるで光の粒が浮き出たかのように写真が撮れて新鮮だった。
中に進むと、壁も柱も隙間なくモザイクタイルで埋められていて、どんだけ細かい貼り絵をさせて働かせんだと色々な意味で驚いてしまった。息を呑むほどの素晴らしさとはこのこと、思ったことが口に出てしまい独り言みたくなってしまい、教会で独り言を言っている変な人になっていた。
教会中央の円天井には全能者ハリストス(キリスト)と大天使が描かれ、窓から差し込んだ光に照らされ、余計に神々しい。
モザイク画の中にはトパーズ・青金石(ラピスラズリの原料)・他の半貴石で飾られているものもあったらしいが、宝石の類は相変わらずよくわからない。
聖所と至聖所を区切るイコノスタシスの左側には聖母子、右側にはキリストのイコンが飾られ、聖所の天井も他と同様にモザイク画で敷き詰められていた。
教会内は内陣の周りをぐるっと回るような感じなので、それほど広い建物ではないため、すぐ見終わってしまった。別に時間に追われてるわけでもないのでゆっくり2周目に突入した。
気の済むまで眺めてから満足して外に出た。朝も相当に美しいと思うけど夜はどうなっているんだろうか。北側から入って南側から出ると、出口に光が入っていて通路の天井に描かれた花も明るく優しい色合いに見えた。
「オーチンハラショー(素晴らしい)」の一言に尽きる。外に出ると眩しい日差しの中、運河を下るボートの姿が見えて、今日もサンクトペテルブルグは楽しそうだった。
こんなに素晴らしい教会が、第二次世界大戦中は野菜倉庫として使われていたことにびっくりした。人々はここを「じゃがいもの上の教会」「じゃがいもの救世主」と呼びバカにして笑っていたらしい。戦後頃もまだ近くのオペラ劇場の倉庫として使われていて建物が痛み、その後の修復期間を経て今の美しい姿を取り戻したみたい。第二次世界大戦の頃ならそんなに昔のことじゃない、本当に最近のことだ。
今は綺麗になった血の上の救世主教会に世界中からたくさんの観光客が訪れて、教会の前では露店やお土産屋が並んでいる。誰だかは知らないが、残しておいてくれた人がいたおかげで、僕もこの素晴らしい景色を見ることができてよかった。
つづく