極東の夜は
日本を出る前に手配していた宿は駅からは少し離れていた。初めて見るロシアの町並みに見惚れて、地図を見ながら歩いていたら、ずいぶんと時間がかかってしまった。でも、不思議と疲れはなかった。街にあふれるキリル文字(ロシアで使われてる文字)を僕はまだ読むことはできない。
ウラジオストクは、低い位置にある港からゆるやかな長い坂道を登っていくような坂の町だった。そのせいか、とにかく車が多く坂道で駐車していた。また、バスもトラムも頻繁に走っているようだ。街中には日本の自販機が置いてあった。海外で防犯上の理由から自販機が置いてあることは珍しく、日本の自販機で日本の商品をそのまま売っていたからさらに驚いた。ロシアの人に日本語表記では何が何だかわからないはずだ。
オケアン大通りの坂道をずっと登り続けた先の教会を過ぎ、地図の示す場所の近くへ辿り着くことはできたが、宿らしいものが見つからず迷っていたら、近くにいた青年が助けれくれて、親切に宿のスタッフに電話をかけてくれた。彼が言うには、宿は近くの団地の中にあるらしく、付いて行ってみるとこれではさすがにわからないようなところに宿はあり、宿に着いたのは夜7時になってしまった。
宿では、北海道の小樽に留学して日本語が話せるクリムくんという青年がチェックインの手続きをしてくれた。シャワーを浴びて荷物を整理し出かけようとした時、誰かいたのでキッチンを見てみたらサムというオーストラリア人のサイクルツーリストがいた。
「ビスケットいる?」とサムは言った「ん?ああ、じゃあもらおうかな」と言って僕は受け取った。サムは中国から自転車で世界を旅し始めて、日本でも東京から鳥取まで走り、その間に何故か富士山まで登っていた。「富士山はせっかくだしね、だからこれも持ってるんだ」とセブンイレブンの富士の名水のペットボトルを見せてきた。サムは何日かここに滞在しているようだったので、僕はお腹が空いたから近くで食べられるものが買えないか尋ねてみた。「大通りを左に進めば大きなスーパーがあるよ」「そうか。じゃあちょっと行ってくるけど何か要る?」「いや、大丈夫さ」
夜8時でも外はまだ明るく、子ども連れで遊んでる親子もいた。僕は、これなら早く帰る必要もないだろうと思い、大通りを反対に進んで、少し散歩してみることにした。来た道を戻り中央広場まで坂を下った。荷物もなかったからか足取りも軽くあっという間に着いてしまった。
街を歩きながら、アジアではないけれどかと言ってヨーロッパとは言えない独特の空気を感じていた。ヴァグザールへの連絡通路を歩いているところで、南京錠をなくしていたことに気づいた。どうやらどこかで落としてしまったらしい。少し不安になるし、もうすぐ陽も沈むから戻るかと、引き返してスーパーに寄って宿に戻ることにした。
スーパーは宿の前の大通りを少し歩いたところにあった。ロシアの食材はもちろんのこと、日本の食材が豊富に売られていて、ロシアの食品に比べれば値段は少し高いけれど、ここでなら日本食に不自由しないかもしれない。
買い物を済ませた僕は買った缶ビールを飲みながら夜道を歩いて宿へ戻った。時刻は夜10時半を回っていた。
宿に着いてからはキッチンで日本からここまでの写真を整理していた。隣では高校生くらいのフランス人の男の子が、サムの旅の話を熱心に聞いていて、憧れを抱いているような目をしていた。写真の整理を終わらせた頃、韓国人のホン兄弟が来た。彼らは一週間前からウラジオストクの観光をしているらしい、そこに小学校の先生をしているパクさんも加わり、声が大きくなったところで、僕たちは揃って宿のオーナーの女性に「うるさい!」と叱られた。仕方がないので小声で話した。
「韓国ではカップルの85%が2年間の徴兵の間に別れる」「他の男に取られたりもする」「それ本当かよ?訓練以外にも辛すぎるだろ」「僕もだ」「…」「気にするな忘れろ」「そんな女ろくなやつじゃないよ」「ロシアで新しい彼女でも見つけよう」「ロシアの女性は美人だ」「わかる」「スタイルも良い」「確かに」そしてしばらく話をして解散した。
夜も更けてきてホン兄弟は部屋に戻り、パクさんとキッチンでインスタントコーヒー飲んでいたらフランス人のマシューが来た。彼はこの後日本を2ヶ月旅行するらしい。日本のイメージを聞いてみたら「マンガ・コミック・ヲタク!」「カードキャプターさくらが好きです、あとナルトとワンピースとドラゴンボール、るろうに剣心!」こうやって面と向かって「日本のアニメ文化好きです!」と言われると僕には抵抗がある。冷めてると思われるかもしれないけど「ルフィ!イエーイ」とかちょっとできない。パクさんは「私もナルト好き」と言ってマシューと話し始めてしまった。これは長くなりそうだ。
早く寝たいなぁと思いながら、彼らの話を適当に聞いていた。
つづく